明治32年(1899)5月、横浜の海港検疫所に赴任した野口英世は、入港した船にペスト患者2人がいることを発見した。その功績が認められて、10月にはペスト流行の兆しのみえた清国・牛荘の国際予防委員会中央医院に派遣されることとなった。出発に際して挨拶に来た野口の憐れな夏服姿を見て、血脇は部屋に敷いてあった赤毛布を与え、「世の中は五分の真味に二分侠気あとの三分は茶目でくらせよ」と歌を作り励ましたという。